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開門
時間
午前6時~午後6時
定休
なし
最寄
「香春駅」から 徒歩約10分

光願寺とはどんなお寺?

今回は光願寺についてご紹介していきます。

今回は光願寺についてご紹介していきます。

今回は光願寺についてご紹介していきます。

今回は光願寺についてご紹介していきます。

今回は光願寺についてご紹介していきます。

浄土宗とは

法然上人を宗祖とし、阿弥陀如来様のお名前を南無阿弥陀仏とお称えします。
南無とは帰命、帰依するという意味になり
南無阿弥陀仏とは阿弥陀様に帰依しますという意味です。

法然上人(1133-1212)が承安5(1175)年に開かれました。

その教えは、阿弥陀仏という仏さまが
まだ法蔵菩薩という菩薩さまだったころ
「私の国、極楽浄土へ往きたいと願い、
「南無阿弥陀仏」のお念仏を称えた
あらゆる命が臨終を迎えたとき、
必ずそこへ生まれ変わるようにしよう」という誓いを信じて、
その導きのもとお念仏をとなえ、
悩みや苦しみのない極楽浄土――仏の国へ生まれ往くことを願います。

つまり、「南無阿弥陀仏」と称えることは
阿弥陀さまを想い、信頼を寄せ、救い導いていただきたい、
との思いを表明することになります。
私たちが必ず「南無阿弥陀仏」とお念仏をとなえるのは
この教えに基づいたものなのです。

ご供養のために称えるお念仏は、極楽浄土に届き
すでに往生されたご先祖さまや亡き両親や連れ合い、
子供、孫が「さとり」を得るための大きな力添えともなります。
ですから、お念仏は、ご供養をする方のことを想い
自身が往生した後に再会できることを願ってお称えください。



光願寺とは

天台宗の寺であった東光寺という寺に天正3(1575)年4月14日
鎌倉の光明寺で修行された法蓮社秀誉上人周慶大和尚が開山上人とし
冨永新四郎宗真を開基とします。


『永禄9(1566)年中に諸人病を患い苦しむもの多き為
祇園社及び祭礼を建立し、或いは薬師如来の古仏所の廃れたる
ところを再興して町内の病難を救いこの地に寺を建て
真永山長福寺と号し時の人、冨永新四郎宗真が福寿を札として呼称させるとなり』
と、古文書に文献が残されています。

時は過ぎ享保元年、光願寺第九世欣誉上人の時代、
徳川九代将軍家重公の御幼名を長福丸というので
遠慮して長福寺から光願寺に寺号が変わりました。

徳川幕府はキリスト教禁止令を発し
豊前国でもキリシタン弾圧のために
寛永二(1625)宗門改めや絵踏みの
発令により田川郡内では政治の中心地、
香春町光願寺境内にて毎年三月六日に行われていました。

また、小倉藩校『思永館』が慶応三(1867)五月
境内に開かれました。

昭和二十年九月十七日、枕崎台風による山津波のために
堂宇が埋没し当時住職(第二十世西川上人)を始め
寺族及び町内の人々十一名が遭難、死亡する大災害に見舞われました。

昭和二十六年当時の末寺だった修福寺・現在地に
第二十一世千々和上人が再建され今日に至ります。






浄土宗のお数珠

浄土宗のお数珠

お数珠は左手首にかけます。

お数珠は各宗派によって形と掛け方が決められています。
よく見かけるお数珠は浄土真宗さんのもので
一連で合掌したら親指以外の8本指にかけますが
浄土宗は、2連になっています。
合掌して親指2本にかけます。
そのかけたお数珠は手と胸の間に来るように掛けます。
たまに、掛けたお数珠を掌で包むように持つ方を
お見かけしますが、2本の房が手前に来るように掛けます。

仏壇屋さんでお数珠を購入されるときは必ずご自分の宗派を
確認の上でお買い求めください。

お数珠は菩提樹や梅などの木で作られるものと
瑪瑙、翡翠、水晶などの石で作られるもの、
その二つを合わせて作られるものがあります。

お焼香などの際に、お数珠を外される方が
いらっしゃいますがお数珠は常に左手首に掛けたままです。
もし、トイレなどに行かれるときは鞄やポケットに入れましょう。