令和7年4月13日に
光願寺開基450年末特別法要を
厳修いたしました。
光願寺の歴史の中で江戸時代に光願寺の境内で当時踏み絵をしていたそうです。
その方々の霊をキリスト教と合同で慰霊祭、慰霊法要を行いました。
当日は香春町郷土史会の福田さまより
隠れキリシタンについてお話をいただきましたが、その中で現在地である高野の光願寺境内にもその隠れキリシタンの遺構?遺跡?があるそうで驚きました。
抜粋ですが
香春町に残るキリシタン遺跡
高田重孝先生の発表には
6 光願寺の三角形の御手洗い鉢 香春町大字高野
元は香春町大字香春山下町にあった古刹だったが、昭和20年(1945)9月17日、台風による豪雨山津波のため、一山埋没して住職家族が亡くなっている。その後昭和26年(1951)高野にある当寺の末寺である修福寺の場所へ再建され今日に至っている。
三角形(三位一体)の御手洗い鉢
この光願寺の本堂脇に三角形の大きな御手洗い鉢が置いてある。三角形はキリスト教では父・御子・聖霊の三位一体を表している。三角形の一辺が1mもある大きな石の表面を繰り抜いて御水盤が作られている。

光願寺にお参りの際は是非ご覧下さい。
#浄土宗 #光願寺 #香春町
#隠れキリシタン